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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)7743号 判決

原告

滝澤遼太

右法定代理人親権者父

滝澤克己

同母

滝澤由紀子

原告

滝澤克己

原告

滝澤由紀子

原告ら三名訴訟代理人弁護士

岡見節子

榊原富士子

泉公一

須網隆夫

被告

山崎高明

右訴訟代理人弁護士

小堺堅吾

主文

一  被告は、原告滝澤遼太に対し、五一三五万九四九九円及び内金四六六九万〇四五四円に対し昭和五七年二月二四日から、内金四六六万九〇四五円に対し平成二年一二月二二日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告滝澤克己及び原告滝澤由紀子に対し、それぞれ二七五万円及び内金二五〇万円に対し昭和五七年二月二四日から、内金二五万円に対し平成二年一二月二二日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告滝澤遼太(以下「原告遼太」という。)は昭和五七年二月二四日、原告滝澤克己(以下「原告克己」という。)と原告滝澤由紀子(以下「原告由紀子」という。)との間の長男として出生した。

(二) 被告は、神戸市東灘区住吉東町二丁目四番三八号において山崎産科婦人科医院(以下「被告医院」という。)を経営し、診療に従事している産婦人科医師である。

2  本件診療契約の締結

原告克己及び原告由紀子は、被告との間で、昭和五七年一月一一日、原告由紀子及びその胎児(出生後の原告遼太。以下「本件胎児」という。)について、右胎児を出産するに当り適切な診療行為を行う旨の準委任契約を締結した。

3  出産の経過と原告遼太の本件障害の発生

(一) 原告由紀子は、被告医院において本件胎児を出産する予定で、昭和五七年一月一一日、初めて被告医院で受診し、被告から出産予定日が同年二月一五日であるとの診断を受け、その後、同月二三日に被告医院に入院するまで計九回の診察を受けた。原告由紀子は、同月五日、四回目の診察を受けた際、被告から軟産道強靱との診断を受け、軟産道を軟化させるためにマイリス及びエストリールデポーの注射を受け、この後、各診察日ごとに同じ注射を受けた。原告由紀子は、右出産予定日を経過した同月二二日、右九回目の診察を受けたところ、被告から本件胎児の児頭大横径が一〇五ミリメートルであると診断された。そこで、被告は、原告由紀子の陣痛を誘発し、分娩誘導を行うため、原告由紀子に対して翌二三日の入院を勧め、原告由紀子は、同月二三日午後二時一五分に被告医院に入院した。

(二) 昭和五七年二月二三日の経過

(1) 被告は、午後三時三〇分、陣痛を促進するため、原告由紀子にオバタメトロを挿入したが、これは午後九時四五分に抜去した。被告は、午後一〇時に、原告由紀子を分娩室に入室させ、分娩監視装置を装着したが、被告医院に設置されていた分娩監視装置は、胎児心音(胎児の心拍数)を示すグラフが明瞭な曲線を描くものではなく、胎児心音を部分的には判読し得てもその全体を的確に判読し得るものではなかった。

(2) 被告は、原告由紀子に対し、午後一〇時七分、人工破膜を行い、また、同じころ、子宮口の軟化を図るためセスデンを、陣痛促進のためアトニンを注射した。

(3) 被告は、午後一〇時三五分ころ、原告由紀子に酸素を投与し、ブドウ糖とともに低酸素状態(アシドーシス)治療薬であるメイロン及びバスクラートを注射した。

(4) 被告は、原告由紀子に対し、午後一〇時四五分にアトニンを、午後一一時三分にセスデンを注射したが、原告由紀子の子宮口は余り開大せず、本件胎児の頭も十分下りてこないため、午後一一時二五分、原告由紀子を分娩室から病室へ帰らせた。

(5) 被告医院の分娩監視装置は、前記のとおり胎児心音を的確に判読できるものではなかったが、判読可能なものとして、本件胎児の心拍数について、午後一〇時三四分ころ、一分間一七〇ないし一八〇の状態が約二分間続いたこと及び午後一一時一分ころ、一分間約一八〇の状態が約二分間続いたことを示し、かつ、午後一〇分五八分ころ及び午後一一時五分ころには、心音警報を発した。また、午後一一時三五分、被告が助産婦に指示してトラウベにより本件胎児の心音を測定した際には、本件胎児の心拍数は、五秒毎に三回測定した数値が九・九・九(以下、トラウベによる胎児心音の測定数値を「九・九・九」と同様に表記する。)であった。

(三) 昭和五七年二月二四日の被告医院における経過

(1) 被告は、午前五時三五分に、再び原告由紀子を分娩室に入室させ、分娩監視装置を装着するとともに、酸素を投与した。

(2) 被告は、原告由紀子に対し、午前五時四〇分、午前六時七分及び午前七時四分にアトニンを注射し、午前六時五〇分及び午前七時二二分に同様に陣痛促進剤であるプロスタルモンを内服させたほか、午前五時四五分及び午前六時五七分にブドウ糖並びにメイロン及びバスクラートを注射した。

(3) 被告は、本件胎児の産瘤が増大していたこともあり、原告由紀子に対して会陰切開を施した上、午前七時三三分に、原告由紀子の子宮口が全開大に達していないのにもかかわらず、二回にわたり本件胎児の吸引分娩を試み、同時に原告由紀子に腹圧をかけたが、これによる分娩に成功しなかった。

(4) 被告は、他に分娩直前の妊婦がいたため、午前八時ころ、原告由紀子を再び分娩室から病室に帰らせ、その後、午前八時二二分及び午前九時二二分にプロスタルモンを内服させた。

(5) 被告は、助産婦長岡に指示して、原告由紀子が再度分娩室に入室する前の午前一時三〇分及び午前四時三〇分にトラウベにより本件胎児の心音を測定させたが、右時点での心拍数は、それぞれ一二・一三・一二、一二・一二・一二であった。また、再度分娩監視装置を装着した後、右装置は、判読可能なものとして、本件胎児の心拍数について、午前六時七分ころ、一分間一六〇ないし一七〇の状態が約一分間続いたこと、午前六時一二分ころ、一分間約一八〇の状態が約二分間続いたこと、午前六時一八分ころ、一分間一六〇ないし一八〇の状態が約二分間続いたこと、午前六時二五分ころ、一分間約一七〇の状態が約一分半の間続いたこと、午前六時五一分ころ、一分間約一七〇の状態が約四分間続いたこと、午前六時五七分ころ、一分間約一七〇の状態が約五分間続いたこと、午前七時五分ころ、一分間約一八〇の状態が約二分間続いたこと、午前七時九分ころ、一分間約一八〇の状態が約一分間続いたこと、午前七時三一分ころ、一分間約一七〇の状態が約一分間続いたこと及び午前八時ころに分娩室を退出する直前に一分間約一七〇の状態が約一分間続いたことを示し、かつ、この間、数度にわたり、心音警報を発した。さらに、分娩監視装置による胎児心拍数の経過が示すところによれば、本件胎児は、午前六時五六分ころ、遅発一過性徐脈を起こした。

(6) 被告は、右(3)のとおり、吸引分娩をも試みながら分娩に至らないため、午前九時三〇分ころ、帝王切開を要すると判断したが、このころ初めて、被告医院に設置されていた新生児蘇生器が故障したままで正常な蘇生器と交換されていないことに気づいたため、甲南病院への転医を依頼した。そして、被告は、午前九時四〇分ころ、救急車の準備をすることもなく、タクシーで原告由紀子を甲南病院へ転医させた。

(四) 甲南病院における経過

(1) 甲南病院においては、原告由紀子は、同病院に到着した直後の診察で、同病院産婦人科水野医師により、胎児仮死、CPD(児頭骨盤不均衡)、産瘤増大、分娩停止との診断を受け、直ちに右水野医師による帝王切開手術を受け、昭和五七年二月二四日午前一一時二二分、原告遼太を出産した。

(2) 原告遼太には、出生時、中等度ないし強度の羊水混濁があり、全身にチアノーゼがあった。右チアノーゼは次第に良好となったが、末端部にはチアノーゼが残った。

(3) 原告遼太は、同日午前一一時三〇分には、四肢色がやや不良気味で、四肢振戦があり、保育器に収容され、同日午前一一時四五分には、三〇パーセントの酸素投与を受け始めたが、著明な四肢冷感があり、全身色は良好だが爪床にチアノーゼがあった。同日午後〇時には、全身色が不良気味で、啼泣時に振戦があり、同日午後〇時三〇分には、ヘッドボックスを使用した酸素投与を受け、その結果、爪床チアノーゼが消失して四肢冷感も軽減したが、体動は余りなかった。その後、同日午後二時には、ヘッドボックスは除去されたが、保育器内において三〇パーセントないし三五パーセントの酸素投与が続けられた。

(4) 原告遼太は、同日午後六時には、体動がほとんどなくぼってりとした感じで、四肢冷感があり、同日午後八時には、全身運動不活発で、頭血腫、頭部上半分の産瘤、頭頂部の吸引の跡がそれぞれ認められ、肺聴診の結果は不規則音があって異常とされ、筋緊張がやや強直と診断された。その他、同日の診断では、原告遼太は、無欲様顔貌で、開口しており、呼吸は不規則で多呼吸であった。

(5) 原告遼太は、同月二五日から同年三月一日まで四肢の振戦が続き、この間、同年二月二六日午後六時には、なお産瘤が著明に見られ、同日午後九時には、全身色がすぐれず、同年三月一日には、なお頭血腫があった。また、同年二月二七日には、眼科で受診し、右眼眼底の怒脹が著明であり、左眼には出血斑がびまん性に見られる旨の診断を受け、さらに、頭蓋内出血の疑いから同月二五日には、腰椎穿刺が試みられ、同年三月一日には頭部CTスキャン検査を受け、右CTスキャン検査による所見は、脳室系がやや狭小化しており、両白質部に対称的に低吸収域がみられるが、出産時の無酸素症でおきる脳室周囲の軟化とは考え難く、また、大脳がまの吸収域が高いが出血とは断定できないのでフォローアップを求めるというものであった。

(6) 原告遼太は、同年三月一日に保育器の外へ出て、その後、頭血腫が軽減し始め、同月六日には産瘤がほぼ吸収されて、甲南病院を退院したが、退院時の診断では、頭蓋内出血の疑いがあると診断されている。

(五) 原告遼太のその後の状況と本件障害の診断

以上のとおり、原告遼太の異常は、前記診断に現れた胎児仮死から引き続き継続して存在し、原告遼太は、甲南病院退院後も、生後一か月時点で、両眼が一側方に強制的に寄ってしまう共同偏視を起こし、生後四か月を経過した時点でも首のすわりが完全でなかった。更に、原告遼太は、同年六月二五日にけいれん発作を起こし、葛南病院を受診したのを始めとして、けいれん発作を繰り返し起こすようになり、右葛南病院、瀬川小児神経学クリニックや順天堂浦安病院等に受診し、入退院を繰り返し、平成元年一月二八日に、右順天堂浦安病院において、脳性麻痺、精神遅滞及び難治性てんかんの障害(以下「本件障害」という。)の診断を受けている。

(六) 原告遼太の本件障害は、以上の経過に現れているとおり、原告遼太が、原告由紀子が被告病院において分娩のために受けた措置中に本件胎児として陥った胎児仮死による低酸素症が原因となって発生したものである。

4  被告の帰責事由

(一) 被告は、原告由紀子が出産のため入院した当時、原告由紀子が軟産道強靱であり、本件胎児の児頭大横径が一〇五ミリメートルの巨大児であったのであるから、CPD(児頭骨盤不均衡)であることを予見し、かつ、CPD(児頭骨盤不均衡)の場合は当初より帝王切開を実施すべき注意義務があるのに、これを怠り、昭和五七年七月二三日午後三時三〇分に陣痛を誘発促進させる処置をとり始めて、あえて経膣分娩の方法に踏み切り、翌日午前九時三〇分ころになってようやく帝王切開を要すると判断し、しかも、やっとそのころに新生児蘇生器が正常なものと交換されていないことに気づいてやむなく転医の手続をとるまで、CPD(児頭骨盤不均衡)であるのに漫然と経膣分娩を試み続けた。

(二) また、経膣分娩の方法によるときは、原告由紀子が軟産道強靱であり、本件胎児が巨大児であることから、分娩に困難を来たし、これにより本件胎児に種々の障害が生ずべきことが予想されたのであるから、被告は経膣分娩についての経過観察を十分に行い、本件胎児の状態を常に把握するため、分娩監視装置またはトラウベを用いて胎児心音を適切に測定すべき注意義務があるのに、被告医院に設置されていた分娩監視装置が、胎児心音を示すグラフが明瞭な曲線を描くものではなく、胎児心音を的確に判読し得るものではなかったにもかかわらず、右分娩監視装置装着中にトラウベによる補完的な胎児心音の聴取を適切に行わないで漫然と右分娩監視装置に依存したのみならず、右分娩監視装置を最初に装着した同月二三日午後一〇時から原告由紀子を転医させるまでの間にいったん右装置を外した間にも、被告は、トラウベによる胎児心音の聴取を適切に行わず、もって右注意義務を怠った。

(三) 被告は、前記3、(二)、(5)及び(三)、(5)のとおり、本件胎児の心拍数が同月二三日午後一〇時三四分ころからたびたび一分間約一七〇以上となっており、胎児心拍数が危険な状態になっていることを示す分娩監視装置の心音警報も数度にわたって鳴っていたのみならず、特に、同月二四日午前六時五六分ころには本件胎児が遅発一過性徐脈を起こしており、また、同月二四日午前七時三三分前には産瘤も増大していたのであるから、遅くとも、この同日午前七時三三分の時点において、本件胎児が胎児仮死に陥っていたことを予見すべきであり、胎児仮死の場合は直ちに帝王切開等の急速遂娩術を実施するか、帝王切開の可能な病院に転医させるべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然と陣痛促進剤であるプロスタルモンを投与したり、子宮口が全開大に達しておらず産瘤も増大していたときは禁忌とされる吸引分娩を試みたり、やはり禁忌とされる腹圧をかけたりした上、同日九時三〇分ころになってようやく帝王切開を要するとの判断に至って転医の手続をとったが、その転医の際にも救急車を使用せずにタクシーによって搬送したりなどしていたずらに時間を空費した。

5  因果関係

原告遼太の本件障害は、被告が、

(一) 前項(一)の過失により、本件胎児を胎児仮死に陥らせたこと、

(二) 前項(二)の過失により、本件胎児が胎児仮死に陥ったことを見過ごしたこと、または、

(三) 前項(三)の過失により、本件胎児の胎児仮死に対する対応が遅れたことによるものである。

6  損害

(一) 原告遼太の損害 計五一三五万九四九九円

(1) 逸失利益 二九六一万八九五三円

原告遼太は、本件障害を受けたことにより労働能力の一〇〇パーセントを喪失したので、一八歳から六七歳までの四九年間の収入を失った。

賃金センサスによれば昭和五八年の産業計・企業規模計・学歴計の男子労働者の年間収入は三九二万三三〇〇円であるから、一八歳から六七歳まで四九年間右収入があるとして、ライプニッツ方式により年五分の中間利息を控除すると、次の計算のとおり二九六一万八九五三円となる。

3,923,300×1.0×7,5495=29,618,953

(2) 慰藉料 一〇〇〇万円

原告遼太は、本件障害のため、健康であれば通常の人間が経験できるはずの喜びや悲しみを一生涯味わうことができず、幸福な生活を享受することができなくなったのであるから、その精神的損害を慰藉するには少なくとも一〇〇〇万円を必要とする。

(3) 生涯の介護料 七〇七万一五〇一円

原告遼太は、本件障害のため一生介護を要する。したがって、一日の介護料を一〇〇〇円とし平均余命71.82年(昭和五八年簡易生命表)として、ライプニッツ方式により年五分の中間利息を控除すると、次の計算のとおり七〇七万一五〇一円となる。

1,000×365×19.37397776=7,071,501

(4) 弁護士費用 四六六万九〇四五円

被告が、原告遼太の損害に対し、任意の弁済をしないので、原告遼太は、法定代理人親権者を通じ弁護士に訴訟の追行を委任し、その報酬として第一審判決言渡時に認容額の一〇パーセントに当たる金員を支払う旨約したので、原告遼太の右(1)から(3)までの損害額合計四六六九万〇四五四円の一〇パーセントの四六六万九〇四五円が弁護士費用となる。

(二) 原告克己及び原告由紀子の損害 各計二七五万円

(1) 慰藉料 各二五〇万円

原告克己及び原告由紀子は、原告遼太の法定代理人父、母として、本件障害を有する愛児遼太を育てていかなければならず、一生その面倒を見ていくについての苦痛は筆舌に尽くし難い。この精神的損害を慰藉するには少なくとも各二五〇万円が必要である。

(2) 弁護士費用 各二五万円

原告克己及び原告由紀子は、本件訴訟の追行を弁護士に委任し、その報酬として第一審判決言渡時に認容額の一〇パーセントに当たる金員を支払う旨約したので、原告克己及び原告由紀子の損害額各二五〇万円の一〇パーセントの各二五万円が弁護士費用となる。

7  よって、原告らは、被告に対し、不法行為または債務不履行に基づく損害賠償請求として、原告遼太につき、損害金合計五一三五万九四九九円及び内金四六六九万〇四五四円に対する不法行為の日である昭和五七年二月二四日から、内金四六六万九〇四五円に対する第一審判決言渡の日の翌日である平成二年一二月二二日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払、原告克己及び原告由紀子につき、損害金合計各二七五万円及び各内金二五〇万円に対する不法行為の日である昭和五七年二月二四日から、内金二五万円に対する第一審判決言渡の日の翌日である平成二年一二月二二日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の各事実は、いずれも認める。

2(一)  同3、(一)から(三)までの各事実は、いずれも認める。

(二)  同3、(四)の事実については、(1)のうち昭和五七年二月二四日午前一一時二二分に、甲南病院において、原告遼太が帝王切開により出生したこと、(6)のうち同年三月六日に、原告遼太が甲南病院を退院したことは認め、その余は知らない。

(三)  同3、(五)の事実については、知らない。

(四)  同3、(六)の事実は、否認する。

3  同4、(一)から(三)までについては、いずれも注意義務の存在を争い、同5は否認する。

4  同6の事実については、原告らが本件訴訟を弁護士に委任したことは認め、その余は知らない。

三  被告の主張

1  経膣分娩を試みたことについて

(一) 被告が昭和五七年一月一一日に原告由紀子を診断し、その骨盤計測を行ったところ、原告由紀子の骨盤は、棘間二四センチメートル、櫛間二七センチメートル、大転子間三二センチメートル、外結合線二二センチメートル、側結合線一八センチメートルであり、いずれも正常値より大きな値を示すものであった。

(二) 原告由紀子が軟産道強靱であったとしても、被告は、軟産道を軟化させるために原告由紀子に対しマイリス及びエストリールデポーの注射を実施しており、軟産道を軟化、伸展させる可能性があった。

(三) 現代産科学においては、帝王切開について、帝王切開時の麻酔が母児に対して与える悪影響、術後感染、子宮切開創からの出血、血腫、術後不妊症等の弊害が指摘されており、感染等により子宮摘出に至った事例もあるなどの理由から、できるだけ経膣分娩により娩出を図ることが常道とされているものであるから、経膣分娩を試みたことは何ら適切を欠くものではない。

2  胎児仮死について

(一) 出生直後の新生児の主として呼吸状態を示す指標であるアプガースコアは、その一分値が胎児仮死の指標であり、五分値が神経学的予後と関連性が高いとされているものであって、いずれも八点以上であれば正常とされているところ、原告遼太の出生後のアプガースコアは一分値、五分値とも九点であったから、原告遼太は、軽症仮死でさえなく、全く正常な健康新生児であった。

(二) 原告遼太は、昭和五七年二月二四日午後八時の診察により、姿勢は正常新生児位で、鳴き声は強く、チアノーゼは既に消失しており、けいれん、嘔吐はいずれもなく、皮膚の色調は淡紅色で、大泉門は平坦であり、項部硬直はなく、モロー反射が認められる旨診断されており、ほとんど異常がない。

(三) 原告遼太は、同日の出生直後に採血による血液検査を受け、その結果は、GPTが一一K・U、LDHが一一七九W・Uであって正常値を示しており、同月二五日午後一一時には腰椎穿刺の施行を受け、その結果は、脳脊髄液がきれいで出血がないとの所見であり、同月二七日に受けた眼底検査の結果では、乳頭浮腫がマイナスと診断されており、また同年三月一日の頭部CTスキャン検査の結果でも、頭蓋内出血は認められていない。

(四) 原告遼太は、出生後、仮死があった場合の臨床症状とされる呻吟、けいれん、異常反射の出現等が認められておらず、かえって哺乳力もよく、吐気もなく、体重も順調に増加して生後一〇日目で退院している。

(五) 以上によれば、本件胎児が胎児仮死であったとすることはできない。

3  胎児心音の測定について

被告医院に設置されていた分娩監視装置は、機種が古く必ずしも胎児心音を的確に判読し得るものではなかったが、被告は、この点を念頭に入れ、助産婦にトラウベで胎児心音を経時的に聴取させていたのみならず、分娩室入室後は被告も助産婦と共に経過を十分に観察していたものであり、胎児心音の測定について適切を欠いた点はない。

4  因果関係について

(一) 仮に、本件胎児が胎児仮死に陥っていて、それが本件障害の原因となり得るほど重篤なものであれば、出生直後から、アプガースコアが四点以下で、けいれん、呻吟、嘔吐等が引き続き、哺乳力も悪く、チアノーゼも長く持続する等の重症症状を呈する酸素欠乏性脳症が認められるべきところ、右2、(一)から(四)までのとおり、原告遼太にはこのような症状は存在しておらず、また満一歳まで原告遼太はまずまずの発育状態であって、神経(精神)発達の遅れは認められていない。

(二) 原告遼太は、生後一歳一か月時である昭和五八年四月四日午前一〇時四五分にベビーサークルで遊んでいた際に手を滑らせて頭部を打撲し、また、同年七月二日午後一一時四五分には自転車の補助椅子から落下して右頬部、側頭部を打ち、さらに、同年七月一九日にはソーセージを喉に詰まらせるなどして、いずれも低酸素状態に陥っている。

(三) 以上によれば、原告遼太の本件障害の発生原因としては、専ら右(二)の各事故が考えられるところであって、出生時の被告の医療措置及び胎児仮死とは因果関係がない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1、(一)のうち、原告由紀子の骨盤が正常値より大きいことは否認し、その余は認める。(二)のうち、被告が原告由紀子に対しマイリス及びエストリールデポーの注射を実施したことは認める。

2(一)  同2、(一)のうち、原告遼太の出生後のアプガースコアが一分値、五分値とも九点であったことは認め、原告遼太が正常な健康新生児であったことは否認し、その余は知らない。

(二)  同2、(二)については、知らない。

(三)  同2、(三)については、昭和五七年三月一日の頭部CTスキャン検査で頭蓋内出血が認められていないことは否認し、その余は知らない。

(四)  同2、(四)については、原告遼太が、出生後一〇日目に退院したことは認め、その余は知らない。

(五)  原告遼太の新生児での状態が被告主張のとおりであったとしても、新生児仮死でなかったから胎児仮死ではないとはいえず、原告遼太が胎児仮死であったことを否定するものではない。

3  同3については、被告が助産婦にトラウベで胎児心音を聴取させたことは認めるが、昭和五七年二月二三日午後一一時二五分から同月二四日午前五時三五分までの病室での六時間一〇分の間に、トラウベによる聴診を行ったのは三回のみであり、胎児心音の測定を十分に行っていたとはいえない。分娩室において、被告と助産婦が経過を十分に観察していたことは知らない。

4(一)  同4、(一)については、否認する。請求原因3、(四)及び(五)のとおり、原告遼太には、出生直後から中枢神経の異常を示す所見があったものである。

(二)  同4 (二)については、被告主張の各事故により原告遼太が低酸素状態に陥ったことは否認し、その余は認める。

第三  証拠〈略〉

理由

一請求原因1(当事者)及び同2(本件診療契約の締結)の各事実については、当事者間に争いがない。

二請求原因3(出産の経過と原告遼太の本件障害の発生)について

1  原告由紀子が、被告医院に入院するまでの経過について

原告由紀子が、被告医院において本件胎児を出産する予定で、昭和五七年一月一一日、初めて被告医院で受診し、被告から出産予定日が同年二月一五日であるとの診断を受けたこと、右診断の際の骨盤計測の結果では、原告由紀子の骨盤は棘間二四センチメートル、櫛間二七センチメートル、大転子間三二センチメートル、外結合線二二センチメートル、側結合線一八センチメートルであったこと、右最初の受診の後、同月二三日に被告医院に入院するまで原告由紀子が合計九回の被告による診察を受けたこと、原告由紀子が、同月五日、四回目の診察を受けた際、被告から軟産道強靱との診断を受け、軟産道を軟化させるためにマイリス及びエストリールデポーの注射を受け、この後、各診察日ごとに同じ注射を受けたこと、原告由紀子が、右出産予定日を経過した同月二二日、九回目の診察を受けたところ、被告から本件胎児の児頭大横径が一〇五ミリメートルであると診断されたこと、同日、被告が、原告由紀子の陣痛を誘発して分娩誘導を行うため、原告由紀子に対して翌二三日の入院を勧め、原告由紀子が同月二三日午後二時一五分に被告医院に入院したことは、当事者間に争いがない。

2  昭和五七年二月二三日の経過に関する次の各事実については、当事者間に争いがない。

(一)  被告は、午後三時三〇分、原告由紀子の陣痛を促進するため、同人にオバタメトロを挿入したが、これは午後九時四五分に抜去した。被告は、午後一〇時に、原告由紀子を分娩室に入室させ、分娩監視装置を装着したが、被告医院に設置されていた分娩監視装置は、胎児心音を示すグラフが明瞭な曲線を描くものではなく、胎児心音を部分的には判読し得てもその全体を的確に判読し得るものではなかった。

(二)  被告は、原告由紀子に対し、午後一〇時七分、人工破膜を行い、また、同じころ、子宮口の軟化を図る薬剤セスデンを、陣痛促進剤アトニンを注射した。

(三)  被告は、午後一〇時三五分ころ、原告由紀子に酸素を投与し、ブドウ糖とともに低酸素状態(アシドーシス)治療薬であるメイロン及びバスクラートを注射した。

(四)  被告は、原告由紀子に対し、午後一〇時四五分にアトニンを、午後一一時三分にセスデンを注射したが、原告由紀子の子宮口は余り開大せず、本件胎児の頭も十分下りてこないため、午後一一時二五分、原告由紀子を分娩室から病室へ帰らせた。

(五)  被告医院の分娩監視装置は、前記のとおり胎児心音を的確に判読できるものではなかったが、判読可能なものとして、本件胎児の心拍数について、午後一〇時三四分ころ、一分間一七〇ないし一八〇の状態が約二分間続いたこと及び午後一一時一分ころ、一分間約一八〇の状態が約二分間続いたことを示し、かつ、午後一〇時五八分ころ及び午後一一時五分ころには、心音警報を発した。また、午後一一時三五分、被告が助産婦長岡に指示してトラウベにより本件胎児の心音を測定した際には、本件胎児の心拍数は、九・九・九であった。

3  昭和五七年二月二四日の被告医院における経過に関する次の各事実は、当事者間に争いがない。

(一)  被告は、午前五時三五分に、再び原告由紀子を分娩室に入室させ、分娩監視装置を装着するとともに、酸素を投与した。

(二)  被告は、原告由紀子に対し、午前五時四〇分、午前六時七分及び午前七時四分にアトニンを注射し、午前六時五〇分及び午前七時二二分に同様に陣痛促進剤であるプロスタルモンを内服させたほか、午前五時四五分及び午前六時五七分にブドウ糖並びにメイロン及びバスクラートを注射した。

(三)  被告は、本件胎児の産瘤が増大していたこともあり、原告由紀子に対して会陰切開を施した上、午前七時三三分に、原告由紀子の子宮口が全開大に達していないのにもかかわらず、二回にわたり本件胎児の吸引分娩を試みたのみならず、被告は、この吸引分娩の際、同時に原告由紀子に腹圧をかけたが、これらによる分娩に成功しなかった。

(四)  被告は、他に分娩直前の妊婦がいたため、午前八時ころ、原告由紀子を再び分娩室から病室に帰らせ、その後、午前八時二二分及び午前九時二二分にプロスタルモンを内服させた。

(五)  被告は、助産婦長岡に指示して、原告由紀子が再度分娩室に入室する前の午前一時三〇分及び午前四時三〇分にトラウベにより本件胎児の心音を測定させたが、右時点での心拍数は、それぞれ一二・一三・一二、一二・一二・一二であった。また、再度、分娩監視装置を装着した後、右装置は、判読可能なものとして、本件胎児心拍数について、午前六時七分ころ、一分間一六〇ないし一七〇の状態が約一分間続いたこと、午前六時一二分ころ、一分間約一八〇の状態が約二分間続いたこと、午前六時一八分ころ、一分間一六〇ないし一八〇の状態が約二分間続いたこと、午前六時二五分ころ、一分間約一七〇の状態が約一分半の間続いたこと、午前六時五一分ころ、一分間約一七〇の状態が約四分間続いたこと、午前六時五七分ころ、一分間約一七〇の状態が約五分間続いたこと、午前七時五分ころ、一分間約一八〇の状態が約二分間続いたこと、午前七時九分ころ、一分間約一八〇の状態が約一分間続いたこと、午前七時三一分ころ、一分間約一七〇の状態が約一分間続いたこと及び午前八時ころに分娩室を退出する直前に一分間約一七〇の状態が約一分間続いたことを示し、かつ、この間、数度にわたり、心音警報を発した。

(六)  なお、その間、分娩監視装置による胎児心拍数の経過が示すところによれば、午前六時五六分ころ、本件胎児は遅発一過性徐脈を起こした。

(七)  被告は、前記(三)のとおり、吸引分娩をも試みながら分娩に至らないため、午前九時三〇分ころ、帝王切開を必要と判断したが、このころ初めて、被告医院に設置されていた新生児蘇生器が故障したままで正常な蘇生器と交換されていないことに気づいたため、甲南病院への転医を依頼した。そして、被告は、午前九時四〇分ころ、救急車の準備をすることもなく、タクシーで原告由紀子を甲南病院へ転医させた。

4  甲南病院における経過について

(一)  原告遼太が、昭和五七年二月二四日午前一一時二二分に、甲南病院において帝王切開により出生したこと、原告遼太の出生時のアプガースコアが一分値、五分値とも九点であったこと、原告遼太が、同年三月六日に甲南病院を退院したことは、当事者間に争いがない。

(二)  右(一)の当事者間に争いのない事実、〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 甲南病院において、原告由紀子は、同病院に到着した直後の同病院産婦人科水野医師の診察で、胎児仮死、産瘤増大、分娩停止であり、CPD(児頭骨盤不均衡)の可能性もあるとの診断を受け、直ちに右水野医師及び新谷医師による帝王切開手術を受け、昭和五七年二月二四日午前一一時二二分、生下時体重四一一二グラムで原告遼太を出産した。原告遼太の出生時のアプガースコアは、右水野医師により、四肢末端にチアノーゼがあったため一分値、五分値とも九点であり正常であると採点されたが、助産婦は全身にチアノーゼがあると判断していた。また、採血による血液検査の結果は、GPTが一一K・U、LDHが一一七九W・Uであって正常値を示していた。

(2) 原告遼太の小児科担当医である酒井医師の診断で、原告遼太には、出生時、中等度ないし強度の羊水混濁があった。また、右(1)のとおり助産婦により全身にあったとされるチアノーゼは次第に良好となったが、末端部にはチアノーゼが残った。

(3) 原告遼太は、同日午前一一時三〇分には、四肢色がやや不良気味で、四肢振戦があり、保育器に収容され、同日午前一一時四五分には、三〇パーセントの酸素投与を受け始めたが、著明な四肢冷感があり、全身色は良好だが爪床にチアノーゼがあった。同日午後〇時には、全身色が不良気味で、啼泣時に振戦があり、同日午後〇時三〇分には、ヘッドボックスを使用した酸素投与を受け、その結果、爪床チアノーゼが消失して四肢冷感も軽減したが、体動は余りなかった。その後、同日午後二時には、ヘッドボックスは除去されたが、保育器内において三〇パーセントないし三五パーセントの酸素投与が続けられた。

(4) 原告遼太は、同日午後六時には、体動がほとんどなくぼってりとした感じで、四肢冷感があり、同日午後八時には、右酒井医師によって、姿勢は正常新生児位で、鳴き声は強く、三一パーセントの酸素投与中においてチアノーゼが消失しており、けいれん、嘔吐はいずれもなく、皮膚の色調は淡紅色で、大泉門は平坦であり、項部硬直はなく、モロー反射が認められる一方、全身運動不活発で、頭血腫と産瘤のいずれかは断定できないが、頭血腫または産瘤が頭部上半分にあり、さらに頭頂部には吸引の跡があって、肺聴診の結果は不規則音があって異常とされ、筋緊張がやや強直と診断された。その他、同日の診断では、原告遼太は、無欲様顔貌で、開口しており、呼吸は不規則で多呼吸であった。

(5) 原告遼太は、同月二五日から同年三月一日まで四肢の振戦が続き、この間、同年二月二六日午後六時には、なお産瘤が著明に見られ、同日午後九時には、全身色がすぐれず、同年三月一日には、なお頭血腫があった。また、右酒井医師は、原告遼太の振戦が続くことから、これを異常振戦と考え、頭蓋内出血を疑っていたため、原告遼太は、同年二月二七日には、眼科で受診し、右眼眼底の怒脹が著明であり、左眼には出血斑がびまん性に見られる一方、乳頭浮腫はマイナスとの診断を受け、さらに、右頭蓋内出血の疑いから、同月二五日には、腰椎穿刺が試みられたが、その結果は脳脊髄液はきれいで出血がないというものであり、同年三月一日には頭部CTスキャン検査を受け、放射線部CT室の部長である原田医師の右CTスキャン検査による所見は、脳室系がやや狭小化しており、両白質部に対称的に低呼吸域が見られるが、出産時の無酸素症でおきる脳室周囲の軟化とは考え難く、また、大脳がまの吸収域が高いが出血とは断定できないのでフォローアップを求めるというものであったところ、右酒井医師は、自らもCTの写真を見た上で、頭蓋内出血はないと判断した。

(6) 原告遼太は、同年三月一日に保育器の外へ出て、その後、頭血腫が軽減し始め、同月六日には産瘤がほぼ吸収されたほか、同日までに、呻吟、けいれん、異常反射の出現等も認められず、哺乳力もよく、吐気もなく、体重も順調に増加して、同日、甲南病院を退院した。しかし、前記酒井医師は、同月五日に原告克己と面談した際、原告遼太のモロー反射の時間が長いので、将来けいれんを起こすかも知れないと説明している(酒井証言中には、右モロー反射についての説明をしていないかのような証言があるが、単に記憶がないとの趣旨と認められ、このことが右認定の妨げとなるものではない。)。

5  原告遼太の甲南病院退院後の状況について

原告遼太が、生後一歳一か月時である昭和五八年四月四日午前一〇時四五分にベビーサークルで遊んでいた際に手を滑らせて頭部を打撲し、また、同年七月二日午後一一時四五分には自転車の補助椅子から落下して右頬部、側頭部を打ち、さらに、同年七月一九日にはソーセージを喉に詰まらせたことは、当事者間に争いがない。

〈証拠略〉を総合すれば、原告遼太は、生後一か月ころ、両眼が一側方に強制的に寄ってしまう状態を繰り返していたが、これはてんかんの微細発作である共同偏視であった疑いが強いこと、生後四か月を経過した時点で未だ首のすわりが完全でなく、同年一一月二七日の生後九か月を経過した時点でもおすわりが前傾の状態でしかできず、さらに昭和五八年二月二九日の生後一一か月を経過した時点では四つ足這いのはいはいができず、いずれも運動機能の発達に遅れがあったこと、原告遼太は、昭和五七年六月二五日に、けいれん発作を起こし、葛南病院に受診し、翌二六日にはてんかんとの診断を受けて右葛南病院に入院したのを始めとして、けいれん発作を繰り返し起こすようになり、右葛南病院、瀬川小児神経学クリニックや順天堂浦安病院等に受診し、入退院を繰り返していること、昭和六〇年八月二六日には、千葉県から脳性麻痺による運動機能障害により身体障害者等級一級に認定された身体障害者手帳の交付を受けたこと、平成元年一月二八日に、右順天堂浦安病院の大塚親哉医師により、脳性麻痺、精神遅滞及び難治性てんかんの障害すなわち本件障害を負っている旨の診断を受けたこと、原告遼太は、昭和六三年四月からは都立墨東養護学校に入学し、現在に至っているが、現在でも、食事、排泄、入浴等日常生活の全般に介護を要し、将来にわたっても治癒の可能性のないことが認められる。

6  本件障害の存在について

以上1から5までの認定事実によれば、原告遼太が本件障害を負っていることは明らかというべきである。

7  胎児仮死の有無及び胎児仮死と本件障害との関係について

(一)  既に認定したとおり、原告由紀子が甲南病院に到着した直後に診察をした前記水野医師は、本件胎児につき胎児仮死と診断していたものであるが、さらに、〈証拠略〉によれば、分娩時に受ける児の脳障害及びその後遺症としての精神薄弱・脳性小児麻痺・てんかんなどは分娩障害として最も重要な項目であること、これらの脳障害の原因としては、無酸素症が挙げられ、胎児における無酸素症が胎児仮死を起こすこと、胎児仮死であれば、帝王切開や鉗子分娩等の急速遂娩を行うべきこと、胎児仮死の徴候は、胎児心音の悪化、羊水混濁、産瘤の急激な増大であり、これらの中で胎児心音の悪化、すなわち、持続的な一四・一四・一四(一分間の心拍数一六〇)以上の頻脈や持続的な八・八・八(一分間の心拍数一〇〇)以下の徐脈などを生ずる状態が最も重要な指標であることが認められ、また、〈証拠略〉によれば、胎児心音の悪化のうち、遅発一過性徐脈を生じた場合は、たった一回でもこれが出現すれば胎児仮死と考えるべきであることが認められるところ、本件では既に認定したとおり、(1)本件胎児の心拍数は昭和五七年二月二三日午後一〇時三四分ころからたびたび一分間約一七〇以上となって、被告医院設置の分娩監視装置も数度にわたって心音警報を発しており、(2)原告遼太には、出生時に中程度ないし強度の羊水混濁があり、(3)同月二四日午前七時三三分に、被告が吸引分娩を試みた際には、既に産瘤が増大していたのであるから、右胎児仮死の徴候をすべて満たしているのみならず、特に、同日午前六時五六分ころには遅発一過性徐脈を起こしていたのであるから、前記水野医師の診断内容と合わせると、本件胎児が胎児仮死に陥っていたことは明らかというべきである。

(二)  これに対し、被告は、原告遼太の出生後のアプガースコアが一分値、五分値とも九点であったこと等により、全く健康な新生児として出生しているとして、本件胎児が胎児仮死であったとすることはできない旨主張するので、これについて検討する。

なるほど、原告遼太の出生後のアプガースコアが一分値、五分値とも九点であったことは既に認定したとおりであるところ、〈証拠略〉によれば、アプガースコアが八ないし一〇点であれば正常、五ないし七点であれば軽症仮死、四点以下であれば重症仮死とされているから、原告遼太のアプガースコアは正常値であったというべきであり、また、既に認定したとおり、原告遼太が、出生直後に採血による血液検査を受けた結果は、GPTが一一K・U、LDHが一一九W・Uであって正常値を示しており、出生の八時間余り後の昭和五七年二月二四日午後八時の診察では、姿勢は正常新生児位で、泣き声は強く、チアノーゼは既に消失しており、けいれん、嘔吐はいずれもなく、皮膚の色調は淡紅色で、大泉門は平坦であり、項部硬直はなく、モロー反射が認められる旨診断されており、同月二五日午後一一時に腰椎穿刺の施行を受けた結果は、脳脊髄液がきれいで出血がないとの所見であり、同月二七日に受けた眼底検査の結果では、乳頭浮腫がマイナスと診断され、さらに、原告遼太には、出生後、通常胎児仮死があった場合の臨床症状とされる呻吟、けいれん、異常反射の出現等が認められておらず、かえって哺乳力もよく、吐気もなく、体重も順調に増加していたことが認められ、これらによれば、出生後の原告遼太に、正常な新生児であることを示す所見があったことは否定できないところである。

しかしながら、〈証拠略〉によれば、アプガースコアは、呼吸抑制や循環不全があるか否かという新生児の呼吸状態や循環器状態を示す指数であり、呼吸及び心臓がしっかりしている場合には、たとえ胎児仮死であって、これにより脳障害を負っていたとしても、正常範囲の数値を示すものであることが認められる。そうだとすれば、右のとおり、原告遼太の出生時のアプガースコアが正常範囲であり、正常新生児を示す所見があったとしても、ただちに胎児仮死ではなかったとすることはできず、他に、本件胎児が胎児仮死に陥っていたとの前記認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  〈証拠略〉によれば、胎児仮死があって胎児が無酸素症ないしは低酸素症に陥った場合には、これにより脳に不可逆的な障害を起こすことがあること、このような脳障害により、精神薄弱・脳性麻痺・てんかん等の後遺症を来すことがあること、脳障害により右精神薄弱等の後遺症を残す場合は、それらが単独で出現するよりも、合併して重複障害児の形をとることが多いこと、また、脳性麻痺の原因としては、遺伝や胎生期の脳発達異常などとともに、分娩時の仮死が挙げられており、胎児仮死が脳性麻痺の原因となり得るものであり、さらに、てんかんについては、器質的病変を見いだすことができず原因が不明の特発性てんかんと、何らかの基礎疾患または器質性脳病変が存在するかその存在が強く疑われる症候性てんかんとがあり、一般的に五歳未満または四〇歳以後に初発した症例は、特発性てんかんではなく症候性てんかんとみなすのが原則とされており、症候性てんかんの原因としては、先天性の遺伝性疾患や代謝障害などとともに、脳内性または周生期性の脳の異常が挙げられていて、胎児が低酸素症に陥ったために脳障害を受けたことがてんかんの原因となり得ることが認められる。

そして、〈証拠略〉によれば、葛南病院において原告遼太を診療していた杉本医師や現在の原告遼太を診療している順天堂浦安病院の大塚親哉医師は、本件障害が同一原因により生じたものと診断していること、右大塚医師は、本件障害の発生原因として他に考慮され得る先天的要因、遺伝、先天的代謝異常の可能性について、原告遼太を直接診断し、各種検査を実施した上で、これをいずれも否定していること、すなわち、先天的要因については、脳CT上奇形を認めず、神経皮膚症候群もなく、胎内感染を思わせる病歴がないことなどを理由に、遺伝については、親から問診をしたほか、発作の型が遺伝的なもの(遺伝性ミオクローヌスてんかん)ではないことを理由に、先天的代謝異常については、検査の結果を理由に、それぞれ本件障害の原因にならないとしていることが認められる。

以上によれば、原告遼太の本件障害は、周生期に胎児仮死となって低酸素症に陥ったため、脳に不可逆的な障害を負ったことを原因とするものと認められる。

(四)(1)  これに対し、被告は、胎児仮死が本件障害の原因となり得るほど重篤なものであれば、出生直後から、アプガースコアが四点以下で、けいれん、呻吟、嘔吐等が引き続き、哺乳力も悪く、チアノーゼも長く持続する等の重症症状を呈する酸素欠乏性脳症が認められるべきところ、原告遼太にはこのような症状は存在しておらず、また、満一歳までの原告遼太はまずまずの発育状態であって、神経(精神)発達の遅れは認められていないから、原告遼太の本件障害とその周生期における胎児仮死とは因果関係がない旨主張し、竹峰証言中には、これに副う供述があるので、以下、この点について検討する。

(2) 〈証拠略〉によれば、竹峰医師の主に未熟児を中心とした重症新生児に対する医療の経験からは、胎児仮死を原因とする出生前低酸素血症があった場合、新生児も重症仮死となり、アプガースコアのうち特に一分値が低いこと、出生の数時間後から脳神経症状として振戦及びけいれん発作を起こし、一日ないし二日の間、けいれん発作が持続した後、神経機能が抑制された状態となって昏睡に陥ること、重篤な症状の場合は、昏睡に陥ったときに死亡すること、回復する場合は、徐々に神経症状が消失し、生後三週間以内に神経症状が正常と診断されるならば、ほとんど後遺症を生じないが、神経症状の回復が遅れ、生後三週間以降も症状を残す場合には後遺症を来すことが認められる。

そして、前記(二)において認定したとおり、原告遼太の出生時のアプガースコアが一分値、五分値とも九点であったことを始め、原告遼太の出生後の経過は、正常な新生児であることを示す所見があったので、右竹峰証言に基づく知見によれば、原告遼太の本件障害は、周生期の胎児仮死とは関係がないものではないかとも疑われるところである。

(3) しかしながら、既に認定したとおり、原告遼太は、昭和五七年二月二四日出生直後の午前一一時三〇分に、四肢振戦があり、保育器に収容され、同日午前一一時四五分から三〇パーセントの酸素投与が開始されながら同日午後〇時には啼泣時に振戦があり、同日午後〇時三〇分からはヘッドボックスを使用した酸素投与を受けながらも体動は余りなく、その後、同日午後二時にヘッドボックスは除去されたが、保育器内において三〇パーセントないし三五パーセントの酸素投与を受け続けており、また、同日午後六時には、体動がほとんどなくぼってりとした感じがあり、同日午後八時には、全身運動不活発で、肺聴診の結果は不規則音により異常とされ、筋緊張がやや強直と診断されたほか、同日の原告遼太は、無欲様顔貌で、開口しており、呼吸が不規則で多呼吸であったものであり、さらに、原告遼太は、同月二五日から同年三月一日まで四肢の振戦が続き、前記酒井医師がこれを異常と考えており、また、右酒井医師は、同月五日に原告克己と面談した際、原告遼太のモロー反射の時間が長いので、将来けいれんを起こすかも知れないと説明していたものである。そして、甲南病院退院後の原告遼太は、生後一か月ころ、てんかんの微細発作である共同偏視であったと強く疑われるところの、両眼が一側方に強制的に寄ってしまう状態を繰り返していたし、生後四か月を経過した時点で未だ首のすわりが完全でなく、同年一一月二七日の生後九か月を経過した時点でもおすわりが前傾の状態でしかできず、さらに昭和五八年二月二九日の生後一一か月を経過した時点では四つ足這いのはいはいができなかったように運動機能の発達に遅れがあり、ついに、昭和五七年六月二五日に、けいれん発作を起こし、翌二六日に葛南病院において、てんかんとの診断を受けるに至ったものである。

ところで、〈証拠略〉によれば、振戦には生理的振戦と異常振戦があるところ、生理的振戦と異常振戦の区別はつき難いもので、異常振戦は脳生麻痺でも見られ、また、けいれんは中枢神経症状であるところ、新生児のけいれんは微細発作が多く、けいれんと振戦の区別もつき難いものであること、全身運動不活発も中枢神経症状として現れ得ること、無欲状顔貌も低酸素―虚血性脳障害の症状であって異常なものであること、筋緊張異常も中枢神経症状として現れ得ること、また、モロー反射が新生期からない場合には中枢神経系の異常が強く示唆されるものである一方、これがあれば中枢神経系が正常と判断することはできないことが認められる。

以上によれば、原告遼太には、出生直後から中枢神経の異常を示す症状があったのであり、さらに、生後四か月にはてんかんの発作を起こしていることから、生後一か月ころの両眼が一側方に強制的に寄ってしまう状態はてんかん発作である共同偏視だったものと推認するのが相当であり、これらによれば、原告遼太は、生後直後から中枢神経の異常症状が継続したまま本件障害に至っているものといわざるを得ない。

(4) また、〈証拠略〉によれば、低酸素症により脳に不可逆的な障害を生ずるまでの期間は成人より新生児の方が長く、未熟児ではさらに長いとされ、未熟児の方が低酸素症による脳障害を受け難いと認識されているところ、未熟児は呼吸器系臓器が未発達であるのに比し、本件胎児のように巨大児である場合には、呼吸器系臓器が発達しているものと推認するのが相当であり、かつ、既に認定したとおり、呼吸及び心臓がしっかりしている場合には、たとえ脳障害を負っていても、正常範囲のアプガースコアを示すことがあるのであるから、未熟児の場合には、重篤な全身症状を示しても、適切な治療により脳障害を惹起しないまま回復しやすいのに対し、巨大児の場合には、未熟児に比べて比較的に低酸素症により脳障害を受け易く、かつ、それにもかかわらず重篤な全身症状を来し難いものと推認される。

したがって、低酸素症による脳障害を受けた新生児が、出生後にたどる経緯には、未熟児の場合と巨大児の場合とでは、自ずから異なるものがあり得るといわなければならない。

(5) そうだとすると、右(2)摘示の竹峰医師の知見は、未熟児を中心とした診療経験に基づくものであり、胎児仮死による低酸素症を生じた後の新生児の予後について、未熟児の場合には妥当するとしても、巨大児であった本件胎児についてはこれをそのまま判断の資料とするのは相当でないといわなければならず、また、〈証拠略〉及び竹峰証言を吟味すると、竹峰医師は、出生当日にのみ原告遼太に振戦があったとの前提で、このことのみを中枢神経の異常を示す症状ととらえ、かつ、生後一歳までの原告遼太には神経発達に遅れがないと認識し、このような認識に基づいた意見として本件胎児の胎児仮死と本件障害との因果関係を否定する旨の供述をしているのであるが、右(3)に摘示したとおり、原告遼太には生後直後から中枢神経の異常症状があり、その後もてんかん発作である共同偏視や運動機能の発達の遅滞があったのであるから、右竹峰証人の供述は、判断の前提を欠くものといわざるを得ず、採用することができない。

(五)(1)  さらに、被告は、原告遼太が、生後一歳一か月時である昭和五八年四月四日午前一〇時四五分にベビーサークルで遊んでいた際に手を滑らせて頭部を打撲し、また、同年七月二日午後一一時四五分には自転車の補助椅子から落下して右頬部、側頭部を打ち、さらに、同年七月一九日にはソーセージを喉に詰まらせるなどして、いずれも低酸素状態に陥ったとし、これを本件障害の原因であると主張し、竹峰証言中にはこれに副う供述があるので、これについて検討する。

(2) 〈証拠略〉によれば、原告遼太は、昭和五八年四月四日に頭部を打撲し、同年七月二日には自転車の補助椅子から落下して右頬部、側頭部を打ち、さらに、同年七月一九日にはソーセージを喉に詰まらせるなどし、その都度、けいれん発作を起こし、チアノーゼを生じていることが認められる。

(3) しかし、〈証拠略〉によれば、てんかんの患者は過呼吸によってけいれんを誘発されるものであり、突然泣いたりすると過呼吸となってけいれん発作を起こすことが多いこと、原告遼太の場合も右頭部等の打撲により原告遼太が泣いたことがけいれんを誘発したこと、ソーセージを喉に詰まらせたのは、脳性麻痺による運動機能障害としての嚥下障害によるものとの疑いが強いことが認められ、これらによれば、被告主張の右事実は、原告遼太が本件障害に陥っていたことの結果として現われたものということはできても、本件障害を生ぜしめた原因であるということは到底できない。

右被告主張に副う竹峰証言中の供述は、前記(四)のとおり、原告遼太には生後一歳まで中枢神経の発達障害がなかったとの前提に基づく判断であって、右認定とは前提を異にし、採用することができない。

(六)  以上の認定判断によれば、原告遼太の本件障害は、周生期の胎児仮死による低酸素症に陥ったため、脳に不可逆的な障害を負ったことを原因とするものと認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三請求原因4(被告の帰責事由)について

1 原告由紀子が昭和五七年一月一一日に被告医院で初めて受診してから被告が原告由紀子を同年二月二四日に甲南病院へ転医させた時点までの間における被告の診療その他の措置及びその措置がされた状況については、前記二、1から3まで及び二、7、(一)に摘示した事実が認められるほか、〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件胎児の児頭大横径は、既に認定したとおり、昭和五七年二月二二日に一〇五ミリメートルであり、原告遼太の生下時体重は四一一二グラムであったが、一般に、胎児の児頭大横径の平均値は九センチメートルであり、児頭大横径が10.5センチメートルの胎児の平均体重は4135.3グラムであると報告されており、また、生下児体重四〇〇〇グラム以上の胎児は巨大児と定義され、経膣分娩が困難なことがあって分娩障害を来しやすく、特に、CPD(児頭骨盤不均衡)であれば、帝王切開を実施すべきものとされていること。

(二)  他方、原告由紀子の骨盤は、既に認定したとおり、棘間二四センチメートル、櫛間二七センチメートル、大転子間三二センチメートル、外結合線二二センチメートル、側結合線一八センチメートルであり、平均値よりも大きかったけれども、被告も、既に認定したとおり、原告由紀子が軟産道強靱であると診断し、軟産道を軟化させるためにマイリス及びエストリールデポーの注射を行ったものの、右のように本件胎児の児頭大横径が大きくなったので、本件胎児が分娩に至らないまま更に発育すればCPD(児頭骨盤不均衡)を生ずるおそれがあると判断して分娩を誘導しようとしたこと。また、甲南病院の水野医師も、既に認定したとおり、後に原告由紀子に帝王切開を実施するにあたり、CPD(児頭骨盤不均衡)の可能性は考慮していたが、右判断は、本件胎児の胎児心音が早めで産瘤増大もあったため、いずれにしても直ちに帝王切開を実施しなければならない旨の緊急の判断を行った際に、分娩が進行していないことからCPD(児頭骨盤不均衡)の可能性も否定できないというにとどまり、レントゲン撮影による骨盤計測等を行った上でCPD(児頭骨盤不均衡)であると確診したものではないこと。

(三) 既に二、7、(一)で認定したとおり、分娩時に児が受ける脳障害及びその後遺症としての精神薄弱・脳性小児麻痺・てんかんなどは、分娩障害として最も重要な項目であって、これらの脳障害の原因として無酸素症が挙げられ、胎児における無酸素症が胎児仮死を惹起するのであり、胎児仮死が生じた場合には帝王切開等の急速遂娩を行うべきであるが、胎児仮死の徴候としては、産瘤の急激な増大も看過されてはならないのみならず、胎児心音の悪化、すなわち、持続的な一四・一四・一四(一分間の心拍数一六〇)以上の頻脈や持続的な八・八・八(一分間の心拍数一〇〇)以下の徐脈などを生ずる状態が最も重要な指標であるところ、右のような胎児仮死の発生を遅滞なく診断するためには、分娩時に胎児心音を測定することが大切であり、これには何よりも分娩監視装置を用いるのが極めて望ましく、トラウベを用いて胎児心音を測定するのであれば、陣痛発来から分娩一期まで、すなわち子宮口が全開大に達するまではおよそ三〇分ごとに、子宮口全開大、破水後又は異常所見を認めればその直後から、五ないし一〇分ごとに聴診しなければならないとされていること。

(四)  そして、本件当時被告医院に分娩監視装置が設置されていたことは、既に認定したとおりであるが、本来、分娩監視装置は、胎児心音を示すグラフが明瞭な曲線を描き、胎児の心拍数の推移を容易に判読し得るようにするための装置であるところ、被告医院設置の分娩監視装置(以下「本件分娩監視装置」という。)は、胎児心音を示すべきグラフが曲線を描かず、本来つながって曲線となるべき点が不規則に飛び、胎児の心拍数の推移を把握し得ないものであって、部分的には右心拍数を示す点が集中し、一定の曲線を描いている場合もあり、このような部分に関しては、一応、胎児の心拍数を判読できるけれども、右のように判読可能なのは極めて一部分に限られるものであったこと。

(五)  被告は、右のような限界がある本件分娩監視装置でさえ、昭和五七年二月二三日午後一〇時ころに最初に原告由紀子を分娩室に入室させた時点から同日午後一一時二五分に原告由紀子をいったん病室に帰室させるまでの間及び同月二四日午前五時三五分に原告由紀子を再度分娩室に入室させた時点から再度原告由紀子を病室に帰室させるまでの間に原告由紀子に装着したにすぎず、最初に分娩室に入室させて原告由紀子に人工破膜を行い、かつ、陣痛促進剤を二度注射した後であるのに、その後いったん病室に帰室させた間は全く分娩監視装置を使用せず、また、二度目に分娩室に入室させて吸引分娩を施し、かつ、腹圧をかけてまでこれを繰り返した後であるのに、その後再び病室に帰室させて転医させるまでの間にも全く分娩監視装置を使用しなかったこと。

(六)  また、トラウベによる胎児心音の測定については、被告が助産婦に指示して、原告由紀子が昭和五七年二月二三日午後一〇時ころに最初に分娩室に入室した後、翌日午前九時四〇分に甲南病院へ転医するまでの間に、同月二三日午後一一時三五分、同月二四日午前一時三〇分及び同日午前四時三〇分にそれぞれトラウベにより胎児心音の測定をさせていたことは、既に認定したとおりであるが、右の測定以外には、被告から助産婦に対する測定指示がなく、かつ、助産婦らの判断による測定も行われなかったこと。

(七)  被告は、既に認定したとおり、昭和五七年二月二四日午前七時三三分ころ、原告由紀子に吸引分娩を腹圧をかけながら二回施したが、そもそも、吸引分娩を行うに適応しない状況で吸引を試みると、産瘤の増大、頭皮損傷、頭蓋内出血、仮死、仮死の増強などを引き起こすものとされ、CPD(児頭骨盤不均衡)がなく、子宮口が全開大となっていること等の条件があるときにのみ吸引分娩を試みることが許されるものとされているのであり、また、子宮口が全開大に達する前には腹圧をかけてはならないとされているのみならず、遅発一過性徐脈が出現した場合には、子宮の収縮を弱めなければならず、陣痛促進剤の投与は中止すべきものとされているにもかかわらず、既に認定したとおり、被告は、未だ原告由紀子の子宮口が全開大に達していないのに、しかも、CPD(児頭骨盤不均衡)の疑いのあるのに、原告由紀子に対して吸引分娩を試み、かつ、腹圧をかけたこと。また、被告は、本件分娩監視装置によっても同日午前六時五六分ころには本件胎児に遅発一過性徐脈を生じていたことを判読し得たのにもかからわず、その後の同日午前七時二二分、午前八時二二分、午前九時二二分にそれぞれ陣痛促進剤であるプロスタルモンを投与したこと。

(八)  被告は、原告由紀子について帝王切開分娩の必要も予想される分娩誘導を開始したが、被告病院の新生児蘇生器が故障したままで正常なものに交換されていないことを事前に点検せず、昭和五七年二月二四日午前九時三〇分ころ帝王切開の必要を認めたが、そのころになってやっと右の故障に気づき、甲南病院への転医のやむなきに至り、原告遼太の出産時点を遅らせたばかりか、右の転医も、救急車を用意せずにタクシーで甲南病院へ運ばせるなどしており、いよいよ帝王切開の実施時点を遅らせたこと。

以上の事実が認められる。

右(六)の認定に対し、被告は、右(六)で認定された測定のほか、被告又は助産婦がトラウベを用いて本件胎児の胎児心音の測定を十分に行っていた旨主張し、被告本人尋問の結果中には、分娩監視装置に頼りきっていたものではなく、被告と助産婦がトラウベを用いて十分に監視していた旨の供述(以下「分娩監視に関する被告供述」という。)があるので、この点について検討すると、被告は、原告由紀子が最初に分娩室に入室するまでのトラウベによる胎児心音の測定については極めて具体的に供述している一方、これに比して分娩室入室後の胎児心音測定に関する供述は抽象的で何ら具体性がないものであり、これに加え、被告は、本件分娩監視装置が、胎児心音が一分間約一八〇以上の頻脈または一分間約七〇以下の徐脈となった場合にアラーム音を発すると認識しながら、右アラーム音を発しても、二、三分で胎児心音の異常が直るので特段の心配はしていなかった旨の供述をしているところ、既に認定したとおり、胎児仮死の徴候としては、胎児の心拍数が、持続的な一四・一四・一四(一分間の心拍数一六〇)以上の頻脈や持続的な八・八・八(一分間の心拍数一〇〇)以下の徐脈などを生ずる状態が最も重要な指標であり、これによれば、分娩監視装置の心音警報に関する被告の右供述は、被告が、胎児心音の医学的意義を極めて軽視していたことを示すものであって、結局、被告としては、胎児心音の測定、監視に対する顧慮を欠いていたものと認めざるを得ないこと等に照らすと、分娩監視に関する被告供述は、容易に信用することができない。また、〈書証番号略〉には、同月二四日午前七時に、トラウベによって本件胎児の胎児心音を測定し、その値が、一二・一二・一二(一分間換算一四四)であった旨の記載があるが、既に認定したとおり、本件分娩監視装置は、右時刻ころに、判読可能な胎児心拍数の曲線を描いており、これによれば、右時刻ころの本件胎児の心拍数は一分間約一七〇の状態であったと認めることができ、この事実に照らし、右〈書証番号略〉中の記載は、本件胎児の心拍数を正しく測定した結果を記載したものであるか強い疑念を抱かせるものといわざるを得ない。被告の前記主張は、採用できない。

2  右1の認定事実並びに前記二、1から3まで及び二、7、(一)の認定事実を総合すると、被告は、原告由紀子に対し、昭和五七年二月二三日午後一〇時七分に人工破膜を行い、分娩誘導を開始したのであり、本件胎児が巨大児であり、CPD(児頭骨盤不均衡)を生ずるおそれもあり、また、再三にわたる陣痛促進剤の注射にかかわらず経膣分娩が円滑に進行せず、同日午後一〇時三四分ころから午後一一時過ぎころまでの間に心拍数が危険な数値を示し、かつ、心音警報を発するなど分娩障害が本件胎児に生ずるおそれが増大する状況になったのであるから、適切に本件胎児の胎児心音を測定聴取すべき義務があったのにもかかわらず、被告は、本件分娩監視装置を原告由紀子に装着させないで病室に帰室させたことがあったばかりか、装着させていた間もこれが胎児心音の測定においてたびたび心拍数の危険な数値を示し、かつ、数度にわたって心音警報を鳴らしたのにこれらを軽視又は看過したのみならず、トラウベによる聴取も同日午後一〇時に原告由紀子が最初に分娩室に入室した後、翌日午前九時四〇分に甲南病院へ転医するまでの間に、同日午後一一時三五分、同月二四日午前一時三〇分及び同日午前四時三〇分の三回行ったにすぎなかったのであるから、被告は、右胎児心音を適切に測定聴取すべき注意義務を怠ったものというべきであり、さらに、被告は、本件胎児が前記のように危険な心拍数を示し、本件分娩監視装置が数度にわたって心音警報を鳴らし、同日午前六時五六分ころには本件胎児が遅発一過性徐脈を起こし、かつ、同日午前七時三三分には本件胎児の産瘤が増大していたのであるから、直ちに帝王切開が可能な病院に原告由紀子を転医させるべき義務があったのにもかかわらず、なお、経腟分娩を試み、しかも子宮口全開大に達する前には禁忌である吸引分娩を同じく禁忌である腹圧をかけてまで二回も繰り返したばかりか、遅発一過性徐脈出現後には中止すべきものとされる陣痛促進剤の投与を続け、さらに、いったん病室に帰室させるなどして時間を空費させたのであるから、被告は、右の転医させる注意義務をも怠ったというべきである。

四請求原因5(因果関係)について

そこで、次に、被告の右三、2に認定した注意義務違反と原告遼太の負った本件障害との因果関係について検討するに、既に認定したとおり、本件分娩監視装置は、その判読可能な部分においてでも、本件胎児の胎児心音が昭和五七年二月二三日午前一〇時三四分ころ、一分間一七〇ないし一八〇の状態が約二分間続いたこと及び同日午後一一時一分ころ、一分間約一八〇の状態が約二分間続いたことを示し、かつ、同日午後一〇時五八分ころ及び同日午後一一時五分ころには、胎児心音が一分間一八〇程度になったことを示す心音警報を発していたのであるから、被告が、前記三、2において説示した胎児心音を適切に測定聴取すべき注意義務を遵守し、本件胎児の胎児心音の測定聴取を適切、十分に行っていたならば、同日午後一一時ころには、本件胎児が胎児仮死の徴候を示し始めたことに気づき、速やかに帝王切開を行うか、帝王切開の可能な病院に転医させるなどして急速遂娩を施し、本件胎児が胎児仮死による低酸素症により不可逆的な脳障害を負う前に出産させることが十分に可能であったものと認められ、また、既に認定したとおり、同月二四日午前七時三三分ころに被告が前記三、2おいて説示した直ちに転医させる注意義務を遵守していたならば、本件胎児の仮死状態の継続を迅速に終了させ、不要な仮死の増強を生ぜしめないで済んだものと認められ、これらにより原告遼太が本件障害を惹起した脳障害を免れた蓋然性が高いと判断されるから、被告の右各注意義務違反と原告遼太の本件障害との間に因果関係を認めるのが相当である。

五請求原因6(損害)について

1  原告遼太の損害

(一)  逸失利益

前記認定によれば、原告遼太は、労働能力を一〇〇パーセント喪失し、終生これを回復することが不可能である。

そこで、原告遼太の就労可能年数を満一八歳から満六七歳までの四九年間とし、昭和五八年度の賃金センサスの産業計・企業規模計・学歴計・年齢計の男子労働者の年間平均給与額を基準にして、ライプニッツ方式により原告遼太の得べかりし利益の現価を計算すると次のとおりとなる。

3,923,300×1.0×7,5495=29,618,953

したがって、原告遼太の得べかりし利益の合計は、二九六一万八九五三円となる。

(二)  慰藉料

前記認定のとおり、原告遼太の負っている本件障害は、回復の可能性のないものであり、出産時から、脳性麻痺、精神遅滞及び難治性てんかんに至る脳障害を負っており、健康であれば通常の人間が経験できるはずの喜びや悲しみを一生涯味わうことができず、幸福な生活を享受することができなくなったというべきであり、その精神的損害を慰藉するには、一〇〇〇万円をもって相当とする。

(三)  生涯の介護料

前記認定のとおり、原告遼太は、本件障害のため、食事、排泄、入浴等の日常生活の全般について一生介護を要するところ、昭和五八年の簡易生命表によれば、昭和五八年における原告遼太の余命は七一年と推定されるので、一日の介護料を一〇〇〇円として、ライプニッツ方式によりその現価を計算すると次のとおりとなる。

1,000×365×19.37397776=7,071,501

したがって、原告遼太の介護料の現価は七〇七万一五〇一円となる。

(四)  弁護士費用

本件の事案の性質、事案の難易その他諸般の事情を考慮すれば、原告遼太に関する弁護士費用は、損害認容額の一〇パーセントに当たる金員をもって相当とするものと認められ、右(一)から(三)までの損害合計額は四六六九万〇四五四円となるので、弁護士費用は、その一〇パーセントの四六六万九〇四五円となる。

なお、弁論の全趣旨によれば、右弁護士費用の支払は第一審判決言渡日と認められるから、右金員に対する遅延損害金の発生日は、本判決言渡日の翌日である平成二年一二月二二日となる。

2  原告克己及び原告由紀子の損害

(一)  慰藉料

原告克己及び原告由紀子が、原告遼太の法定代理人父、母であることは当事者間に争いがないところ、既に認定したとおり、原告遼太は本件障害を負って生涯を送らなければならず、原告克己及び原告由紀子は、両親として右原告遼太を育て、かつ、一生その面倒を見ていかなければならないのであって、原告克己及び由紀子の精神的苦痛は、両名の子の死についての苦痛にも比し得るものというべきである。したがって、この精神的損害を慰藉するには右両名に対し各二五〇万円をもって相当とする。

(二)  弁護士費用

原告克己及び原告由紀子の弁護士費用は、右1(四)において原告遼太について認定したと同様の判断により、損害認容額の一〇パーセントに当たる金員をもって相当とすると認められ、原告克己及び原告由紀子の損害額は各二五〇万円となるので、弁護士費用は、その一〇パーセントの各二五万円となり、また、その遅延損害金の発生日は、本判決言渡日の翌日である平成二年一二月二二日となる。

六よって、原告らの本訴各請求は、不法行為に基づく損害賠償請求として、いずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官雛形要松 裁判官北村史雄 裁判官貝原信之)

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